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龍神の舞
むかし、むかし、島崎のすぐ沖に野島という小さな島がありました。
村人は海の守神となる社を建てました。
この社は厳島神社と言い、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と弁財天がお祀りしてあります。
一説には、この2人は同じ人物ではないかと言われています。
弁財天は、弁天様として七福神の中で唯一女性の神で水の神様(海の守護神)、芸能の神様、財産の神様として村人に親しまれていました。
過去の2度にわたる大地震で島は隆起して島崎部落と陸続きになりました。
地続きになった野島は、つながった陸の東西に砂浜が出来あがり、天然の船曳場となりました。
村人たちは、歩いて神社にお参りに行くことが出来るようになり大変喜びました。
村に住む多くの人々は、海から生活の糧を得ておりましたので、
男達は大漁と海上の安全、特に嵐による船の航行安全を願い、女達は素潜りによる海女作業での豊漁と暗い海の中、
息を詰めての危険な作業であるため健康と操業安全を祈願しました。
ある日、保田村(現鋸南町)に腕のいい若い石工がいると聞き、
村役は神社に奉納するため弁天様を含む、七福神を石翁という若い職人に彫ってもらうことにしました。
七福神が出来上がり厳島神社の境内に安置し、その素晴らしい出来栄えに村人も喜びみんなで毎日お参りはかかしませんでした。
この七福神を彫ったのは武田石翁、19才の作として、今でも厳島神社の宝物として、氏子たちに大切にされています。
男神6体は、並んで境内にありますが、女神である弁天様は、見えませんが社殿に祀られているとのことです。
弁天様は、遠くはインドからやってきた神様であり、川の神でもあります。
川の流れが蛇行する姿が蛇の動くようであるため、弁天様のお使いは、蛇であると言われています。
弁天様のお使いの蛇は、大きくなるたび脱皮します。
このようすが出世していくように見え、財運を呼び込む財産の神様のお使いとして、蛇がなったとされています。
古くは中国では、蛇が天に昇ると龍になったとされ、皇帝の紋章にもなっています。
日本に伝わると龍は、豊穣の象徴とされたり、悪役の主体となったり形を変え広く信仰されました。
長崎では、不老長寿の月(玉)を追う、龍が舞う踊り「蛇踊り」が中国から伝わり、
その賑やかな様子を見た白浜の人が弁天様を祀る神社の祭礼にあわせ、龍神の舞を奉納し、
海女まつりの会場で勇壮に龍が舞います。
玉を先頭に爆竹がひびき、右に左に龍がまわります。
その輪の中に囲まれると一年間、倖わせになると云われています。
毎年、恒例となっている「白浜海女まつり」の終盤に行っている龍神の舞の源流のお話しです。(創作)